沙王の庭にて 〜 砂漠の王と氷の后より

      *砂幻シュウ様 “蜻蛉”さんでご披露なさっておいでの、
       勘7・アラビアン妄想設定をお借りしました。
       砂漠の王国を知略と武力とで堅牢に治める賢王カンベエと、
       傾城の佳人、氷の姫と謳われた美しき后シチロージ…という、
       勘7スキーには そりゃあ垂涎のお話ですvv
       そういう設定はちょっと…という方は、自己判断でお避け下さい。
 


 領土のほとんどを占めるのが、ただただ広大な砂の丘というその大陸は。悠久の昔より、幾多の民が台頭しては新しい波に襲われ飲まれ、新しい勢力、新しい君主が次々に立っては去って行った地でもあり。航海術の発達により、交易の舞台が海へも向くようになった当世でも、侵略と凌駕ののち制覇という格好での凌ぎ合いは、相も変わらず激しいままな地域だったものが。現王朝を興した先の王以降、どんな外敵にも蹂躙されず、内にても動乱の気配すらないまま、それはそれは盤石な治政を、幾とせもの歳月、揺るぎなく保ち続けている国がある。部族が、そして国が発展肥大すると、富や経済が飽和状態になってしまうため。増えた臣下や民への、褒賞や手柄を生じさせる場としての新たな領土が必要となってのこと。外へ外へと獲物を求め、侵略戦争と紙一重な“遠征”を敢行するというのはよくある話で。紳士的な“話し合い”で互いを理解しあってののち、経済面での友好的な同盟を取り結ぶことが出来れば何ら問題はないのだが、利害の一致を見なければ、たちまち潰し合いへと発展するのも当世の常で。まだまだ未開の地が多いこの大陸では、誰がどれほどの領地をもぎ取れるかを競い合う、いわゆる群雄割拠の“過渡期”にあったのだけれども。

 その一族に、
 それは優れた資質の武将が後継者として生まれ落ちたことが、
 当地の騒乱期を一気に沈静へと向かわせる。

 若いうちは他の将軍らと同様に、兵を率いて前線へも立った彼は、いかにも華やかな風貌風采や、斬新大胆な行動を起こすことで人々をトリコにした訳でもなく。はたまた、何とかと紙一重と言われるような、類い稀なる天才奇才を発揮するでもなかったが。いくらでも臨機応変の利く巧みな戦略を練り出す豊かな知慧と辣腕と、何となれば司令部の天幕から飛び出し、駿馬を翔って自ら陣頭にも立った勇猛さ。それからそれから、民への徳も厚い、懐ろ深い人性が、数多
(あまた)の俊英を彼の膝下へと集わせて。人徳あふれる知将の手になる、各々の勇者らの使いどころをようよう心得た上での用兵の見事さが、どんな戦さにもことごとく功を奏し続けたその結果。王国は 父の代でこの大陸における史上最広の領土を勝ち取り、その父が亡くなった跡を継ぎ、現在の王が満を持して玉座に就いた今。まるで何百年も先までの安泰を今から約されてでもいるかのように、それはそれは安定した治政の中、人々は…いやさ 時代ごとが、凪の時間を堪能しているというところだろうか。




      ◇◇◇


 そんな砂漠の王国の覇王が住まわる王宮は、城下のにぎわいごと城塞に囲まれた中にそびえる、堅牢な石作りの荘厳な城であり。政務を執り行う執務室や、謁見や会議のための広間など、政りごとのための宮殿の奥向きには、王の親族やみずみずしい果実のような妃らが住まう“内宮”が、そこはますますのこと、外界の砂塵荒れ狂う砂漠とは切り離された空間として広がっており。何と言っても最も眸を引くのが、灼熱砂漠のただ中にありながら、それは贅沢な水の使いよう。等間隔に居並ぶ大理石の柱がアーチを描く庇を支え、そんな庇が強い陽光を遮ることにより、屋内や回廊へ色濃い陰を落として真昼の灼熱を和らげている。それもまた端正な仕上げようの、なめらかな石畳の続く回廊は、瑞々しい緑をふんだんに配した庭園を取り巻いており。オリーブの木立やベラドンナの茂みが、風に撫ぜられ ひらはらと躍る足元には、赤レンガのようなテラコッタが敷き詰められ。そんなパティオの中ほどには、直線で切られ、ところどこ階段状にそそぎ落ちもするよう這わされた、石作りの水路が中央の泉水から導かれており。大きな石の鉢を据え、地下水を汲み上げてはほとばしらせている人造の泉は、霧のような飛沫に しとどに濡れそぼち。そこからあふれた清水を導くは、これも大理石の浅い溝道。森林の中を駆け抜ける早瀬を思わせるような、水の流れやせせらぎの声は何とも涼やかで。何やかやと語らずとも いかほど豊かな国であるのかを仄めかす、これほどうってつけの演出はなかろうて。きらめく飛沫の舞う景色の見事さへ、砂漠を旅して来た客人たちは一人残らず眸を奪われ、この国がどれほどのこと富み栄えているかを思い知る…のだが。

 ここへと住む者にとっては、特に虚勢を張っての仕掛けじゃあない

 外界の喧噪なぞ忘れ、心静かに癒されたまえという、王からの慈悲であり恵みであり。殊に遠方の地域から迎えられたる妃らには、故国を離れた寂しさや、孤高の無聊を紛らすのへと一役買ってもいる。現王カンベエには三人の妃がいて、どの妃も、戦さを構えたその末に凌駕されたる相手国から、降伏、あるいは同盟の印にと、王へ嫁すよう寄越された美姫ばかり。特に、第一王妃はシチロージといって、この国の最も北方に位置する国から、輿入れして来た姫であり。カンベエが王座に就く前に父王が婚儀を整えたというから、完全なる政略結婚であったのだが。なんのカンベエ自身もかなりがところ深い思い入れあっての求愛を示したほどの、魅惑と蠱惑に満ちた“傾城の姫”とも仇名されたる、妖麗玲瓏な佳人であり。それでは…と、試練のように 様々に難題を吹っかけられたの、一つ一つ受けて立った末に娶ることが叶ったというから、見栄えの麗しさ以上に内面も奥深い后でもあって。カンベエの、灼熱の砂漠を治める王にふさわしい精悍さ、鋼色の髪に赤銅の肌、深色の眼差しを冴えさせた風貌とはどこもかしこも正反対。絹糸のような金絲の髪に、雪のような白い肌、嫋やかで優美な作りの細おもてには、光を集めたような青玻璃の瞳を据えた、ともすれば夢幻の存在のような風貌をしておいでのシチロージだったが。だからと言って なよやかにか弱いということは決してなく。嫁いでののちは、この国とカンベエへとよく仕え、来賓への饗応に務める女官たちは言うに及ばず、次々に迎えられたる他の妃らへも、第一王妃としての貫禄と寛容をもって接し、内宮をきちんと取りまとめておいで。そのまろやかな美しさへ、円熟した落ち着きまで備え、男女を問わず蕩けさせるよな美しさをますます深めた、まさに乾いた砂の地には奇跡のような潤い齎す、神秘の女神のような后殿下であったのだが……。

 ただ、そんな后様にも憂いがないわけではなく

 最も近年、やはり激しい戦さののちに、和睦を結んだ相手国から寄越された年若い姫に、王がすっかりご執心の態となっており。ほぼ毎晩の夜ごと、そちらの姫をばかり閨へと招いて、うら若き妃との蜜月をずっとずっと過ごしている爲體
(ていたらく)。壮年と呼ばれし年頃へは似合いな、男らしくも頼もしく重厚であるばかりに留まらず、添うて知ったが、ただの堅物では収まらぬ、稚気あふれるその豊かな人性などなど、誰もが羨む覇王へと連れ添い合って、もう随分と経つ身であり。それこそ小娘じゃああるまいに、いちいち悋気立つほど狭量じゃあないが、それでもたまに箴言なぞもする賢い后。今更悋気もなかろうと、判りやすくも眉を吊り上げたりしちゃあいないのだけれど。

 キュウゾウという名のその姫は、
 周囲から言い含められての口数少なくも、
 大人しく嫁して来た…ワケではなかったらしく

 自国を滅ぼした仇敵カンベエへ報復の念を堅く持ち続けてもいる彼女は、隙あらばとの虎視眈々と、選りにも選って王の首を狙っているというから驚きで。だというのに、そんなところさえ刺激があって興が乗るとでも思うのか、幼い爪立てる猫もまた可愛いものよと、そのありありとした敵意さえ、単なる やんちゃぶりとし、慈しんでおいでというから気が知れぬ。まま、大の男がか弱き妃にどうにかされるとも思えぬが、それでも何かしら間違いがあってからでは遅すぎる。大した怪我は負わずとも、閨にて妃から襲われるなぞ、沽券にかかわる問題に発展しかねぬし、

 “それより何より…。”

 そんな騒ぎを起こした張本人への処遇だって、ただじゃあ済まない運びとなろうに…と。まだあまり顔を合わせてもない妃のことをも案じておれば、

 「………あ。」

 傍づきの女官が何を見たのか短い声を上げ、日頃からそれは粛々とよく仕える少女だのにどうしたことかと、ともに別棟までの回廊を渡っていた足を止め、いかがしましたかと問いかかったシチロージのその視線が、緑したたる庭の中にてひたりと止まる。濃密な青をむらなく塗り広げたようなターコイスブルーの空を、向かい側の四阿
(あずまや)の屋根の稜線で四角く切り取る中庭の、それはそれは豊かな翠の中に。気がつけばたいそう眸を引く存在が、だが、至って静かな佇まいで、その身を置いている。

 “あれは…。”

 王のつけた専属の女官もいように、見張られるようで好かぬのか。日頃もこのように単身で行動する妃と聞くキュウゾウ殿が、何をするでない棒立ちで、オリーブの梢を見上げておいで。一応のお目見えの場を設けられたので、顔や姿を知らぬじゃなかったが、それ以外では、王の采配でか住まう宮が随分と離れていたこともあって、こうまで間近に寄った機会のなかった間柄。むしろ下々の仕丁らの方がよくよく見知っているようで、だとすれば…彼女らが物珍しそうに眺めぬことから、行動や振る舞いも、身につけた衣紋も、特に人目を忍んでとそれを選んだ姫ではないらしい。それが彼女の信条か、着ているものも特に華美なそれではなくて。紅を基調とした深色の厚絹のボレロの下、実用重視としたらしき絹の内着は、光さえ透かさぬ詰んだ織りが、それでも嫋やかなドレープの流線を生んでその細い腕を包み込み。厚絹のサッシュの上へと回した、細やかな彫金細工のほどこされし佩
(ベルト)が、木洩れ陽を受けてチカチカと燦いていることの方こそ、よほどに息づいて見えたほど。魔よけの護珠を連ねた金の飾り鎖も、そのか細い首や腰には重たげに見えて。数は少ないながら、1つ1つが選り優りの品々だろう宝飾品に飾られた痩躯は。まだ仄かに幼さの香る、真っ直ぐで無垢な若さの華やぎと、至らぬ所が粗削りな欠落となり、見るものが見れば そこへつい手を延べたくなるような、そんな蠱惑を甘くまといつけており。成程、我が夫が惹かれて止まぬは、彼女からの挑発的な意志ばかりが素因では無さそうだと、今やっと思い知る。特に不躾けに眺めていた訳ではなかったが、

 「……。」

 気がつけば向こうもこちらの気配を察したらしく、その薄い肩越しにこちらへと視線を返しており。生国は南方の戦さにて制覇した国と聞いたが、それにしてはシチロージと同じ金髪白面の姫なのが意外。のちに当人から訊いた話によれば、母方が北方の血統だということだったので、もしかしたなら、どこかでシチロージとも縁続きな存在だったのかも知れぬ。凍るように冴えた美貌をなお鋭角に見せる白磁の肌に、綿毛のような軽やかさで風に躍る淡金色の髪。その瞳の色は、やはり淡くはあったが…シチロージの爽やかな空を思わせる青とは異なる深紅の真っ赤で。白い肌に赤い目とくればの、虚弱な体質ではないかと危ぶまれ、幼少のころから外へはあまり出してはもらえずに過ごした姫だとか。そんな肩書きを持つにもかかわらず、人を射貫くような眼差しの力強さは逸品で。しかも…

 「……、…っ。」

 別段 睨み合いとなった訳じゃあない。とはいえ、声もかけぬまま眺めていたなんて、見世物ではないという種の不快を与えたかも知れず。遅ればせながらの挨拶をと口を開きかかったシチロージの先を衝き、あっという弾けるような声を上げたのが、やはりこなたに付き従っていた侍女であり。あぶないと言うつもりだったか、それとも悲鳴になるはずだったか、ひぃと掠れてしまったそれを、だが、わざわざ確かめる必要はなかった。彼女が見ていたのもまた、紅蓮の眸をした別宮の妃様であり。そんな佳人の足元、それは優美な脚線を想起させるよな、華奢だが骨が浮くほどじゃあない足首のところへと、するりと動いた錦があって。足首に巻くチャームがないではないが、風もないのに動くは不自然。だからこそ“おや”と目がいったらしい侍女が、そのまま腰を抜かさんばかりに驚いたそれは、この辺りでも随分と草深い野に出ねば遭遇しない種のながむしだった。しかも、

 「…っ!」

 キュウゾウの方でも、不意な感触にはギョッとしたらしかったが、そのまま足を引こうと仕掛かった動作が引き金にでもなったのか、細長い躯に見合った小さな口とは思えぬ深々とした咬撃に遭い。その身を凍らせ、立ち尽くしたから、

 「…っ、お静かにっ。」

 咄嗟のこととて、残りの足を持ち上げ、蛇の胴を踏み付けようとしかかる彼女へ、動いてはなりませぬとの声をかけ。この身へまといし裾長の衣紋を素早くさばいての近寄ると、こちらは紫紺の薄絹の下、懐ろ深くへ忍ばせてあった銀の護剣、小柄
(こづか)取り出し、えいやと突き立て絶命へと仕留める。内宮での殺生とは穏やかではないながら、場合が場合だけに一刻を争うというもの、

 「シノ、急いで内侍医を呼んで参れ。」
 「は、はははいっ!」

 日頃ははしこいはずの侍女が一瞬躊躇したのは、自分が仕える后を一人にすることをためらったから。正確には一人じゃあないが、その人と成りをようようは知らぬ存在、しかも ともすれば王への殺意も抱えておいでと噂の妃と二人きりにするのは、毒を持つ蛇と居残すことに匹敵せぬかと、その聡明さから思ったからだが。

 「何をしているっ、早ようっ。」
 「は、はいっ!」

 駆け寄ったそのまま、自分だって触れたら危ないくちなわの顎つかみ、うら若い妃の足元から外しにかかっている、懸命な女主人の声には逆らえぬ。弾けるように駆け出した侍女の気配が遠のくのを背中に聞きつつ、何とか外した悪鬼の残骸、忌々しげに放り捨てると、見上げた先の頭上にて、

 「……。」

 痛みよりも不安の方が勝るのか、表情こそ歪んではないが、それでも随分と青ざめている妃のお顔が見下ろして来ており。そんな彼女へ、こちらもにこりともせぬままの真顔を向けると、

 「座って。」

 短く言っただけじゃあなく、自分からも手を延べ、彼女の腕を引くシチロージであり。何が何やら、端的すぎて戸惑うかと思ったが、別なところにあろう反発が顔を出すでなく、素直に従った彼女であり。動転していたから意のままになったんじゃあない、意志が通じ、素早く理解できたからに他ならぬと判ったのは、

 「…っ。」

 掴んだままにしていた足首の傷口へと、躊躇なく口をつけたシチロージだったのへ、ギョッとしつつも無理矢理逃れようとしなかったその上。

 「手や口に疵はないか?」

 そんな声を向こうからかけて来たお人だったから。彼女の側でも多少の知識はあったらしく、蛇の毒は血管に入ると覿面に回る。咬まれた訳じゃあなくたって、前からあった傷や、虫歯のうろから入ったものでも回りかねぬと、そんな話は知っていたようで。何度か吸い出した毒の血を吐き出してから、

 「ご案じなさるな、」

 手仕事や何やをこなすでないこの身には、羽根の先ほどの疵もないと、淡とした声にて返してやって、肩へと羽織っていた薄紫の絹を裂き、傷の上をきつく縛れば、

 「…。」

 小さく眉を寄せたキュウゾウは、それでも抗いの気配は見せず。腰を下ろした芝草を、その白い指で僅かほど掻きむしって痛みを耐えた。

 「これでよろしかろう。」

 今に内侍典医がやって来るので、それへ見せればと言いかければ、何とも答えぬままながら、その場から立って行こうとしかかったので、

 「これ、キュウゾウ殿。」

 安静にせねばならぬに、何をしやるかと制止の手を延べかかれば。そんな白い手の先へ、すいとなめらかに突き返されたのは。陽光をぎらつく銀に弾いて濡れた、一振りの小太刀の本身が緑の中で妖しく煌く。さすがに触れては危険な刃ゆえ、シチロージの手も宙で止まってしまったが、だからと言って怯んでの怖じけた彼女ではない。ほんの一刷毛ほどの驚きが白い頬をかすめるように浮かんだだけで、

 「おや、何とも物騒なものをお持ちですね。」

 切れ長の目許をなお細めれば、相対す南の妃の鋭い眼差しもまた、すうと細まり、

 「安心しろ。出して見せたは今が初だ。」

 ひけらかしての脅しに使ったり、護身具をまとっていると触れて回ってはおらぬと言いたいらしい。ただ、

 「もっとも、お主の夫には知られておるが。」

 凍ったような表情には挑発の気配もなく、どうやら、シチロージへの敵意は持たぬ彼女であるようだけれど。暗黙のそれながら、許しを得たものだとでも言いたいか、ということは…その刃、王へと翳すために持っているということになりはしないか。堂々と言ってのける彼女も彼女ではあるが、それよりも、

 “まったくもうもう、あのお方は。”

 こんな一途な娘さんを相手に、どうせ煙に撒くよな物言いで振り回しておいでなのだろと、あの老獪な夫がどんな接しようをしているのかが仄見えてしまった后としては、だが。困ったような顔をしての苦笑をこぼして見せるばかりであり。

 「…何故、笑う。」
 「なに、いきり立たれては血の巡りも早ようなってしまいます。」

 それではせっかく取った処置の意味ものうなると、年下の目下から見下ろされても意に介さずに、下生えの上へ膝を折ったままでいるシチロージであり。

 「……。」

 怖がりもしなければ、だが、逆に居丈高にも高圧的になるでも無し。后の態度の掴みどころのなさにこそ戸惑ったか、とりあえずは…差し向けていた小太刀を引いて鞘へと収めたキュウゾウだ。鐔も幅狭で衣紋の下へと忍ばせておくのに打ってつけな、こちらもまた実用的な小刀であり、

 “いくら自身の腕へ覚えがあると言っても…。”

 こんな危険なものを身につけた、しかも殺意の塊でもある皇女を、よくもまあ平気で閨へ誘える殿御だことと。面白がっているなら悪趣味の極み、今更ながらに夫の図太さへと呆れた后は。身の置きどころへ困っているような気配を見せるキュウゾウだと察すると、自分もスルリと立ち上がり、それから手近なところに配された、東方から取り寄せたそれ、陶製の腰掛けへと彼女を手振りで誘
(いざな)った。

 「……。」 「……。」

 しばしの間、双方ともに黙っておれば、庭に満ちるは せせらぎの囁きと、時折吹き来る風に揺れる梢の立てる波音だけ。女性らしさを匂わすまろやかな色香の中に、凛とした知性と落ち着きをたたえた后を、彼女の側でもよくよく見るのは今がお初か。瀬踏みをするよな魂胆は匂わせぬ、何とも素直で率直な視線をもって、こちらを見やるキュウゾウであるのが、シチロージには却って擽ったくもあり。

  ああ、こういうところが

 落ち着き払っての納まり返り、夫の浮気心へも泰然と構えているよな古女房よりも。何かにつけムキになり、血気盛んなお顔を見せる若さへと、悪戯心をくすぐられている夫なのだろか。それが正真正銘 殺意の籠もった物騒な刃でも、すんでのところで躱して見せようぞという緊迫感や。屈強な四肢に組み伏せられたが口惜しいと、ぎりぎりと睨み据えて来る姫のその気概を突き崩し、やがては陥落させる閨事がどうにも堪らぬと、そのような刺激に惹かれての睦みであるなら、残念ながら今のこの自分へは無いものばかり。とはいえ、そうそう何でもかんでもその身へ揃えたような、ある種、矛盾だらけの存在なぞ、それこそこの世にありはしない。その身と信念へ強靭な芯を持ち、機転の利く策を次々打てる器用さを持ちながら、なのに過分な栄達は求めず認めず、やり過ぎを無様と罰す堅物で。飄々とした顔を見せもしながら、だがだが……

 “肝心要なところは、語っておいでではないらしい。”

 それが誰への気遣いなのやら。面と向かって聞いたなら、ただの酔狂だとやはりお笑いになるのやも。だがだが、これへと気づいておられぬ。知らずに恨んだその人が、実は恩人だったなら、高潔な人ほどそれもまた手痛い事実になると。そして、この皇女もまた、闇雲に庇えばいいというよな、か弱い姫ではないとどこまで気づいておわす御主なものやら。

 「……おい。」

 妙に感じ入ってしまった様子が伝わったものか。不意に黙りこくったシチロージへと、居たたまれぬような声をかけてきたキュウゾウへ、

 「あなたの生まれ育った居城は、
  それはそれは堅牢で、
  長く“難攻不落”と謳われておいでだったと聞いております。」

 「……、ああ。」

 唐突に、しかもそれが話題にされるとは思わなかった故国の話を持ち出され。夫の政務には口を挟まぬ貞女とでも思い込んでおったか、戸惑うように目許を瞬かせ、不意を突かれたそのまま、素直に頷首したキュウゾウへ、

 「それが…間近に攻め寄せられたそのまんま、
  一気呵成という攻め手により難無く落ちたのを、どう思われましたか?」
 「それは…っ。」

 どう思うも何もなかろう。現実に攻め落とされたのだし、それを果たしたのはこの国の王が率いた軍の手柄だというに。何を聞きたくての言いようかと、更なる侮蔑なら許さぬということか、まなじり吊り上げかけたキュウゾウへ、

 「その夜、城の内部から火が出たと、証言する者が多いことを御存知か。」
 「……っ。」

 ぴしゃりと言い放つシチロージであり、

 貴女が殊更に我らが王を恨んでいるのは、
 カンベエ様が貴女の乳兄弟にあたる青年を、
 混乱していた城内の奥向き、
 貴方がたを守りにと馳せ参じたところを待ち受けて、
 問答無用で斬ったからだとも聞いておりますと告げれば。

 「……。」

 二の句が告げぬは眞を衝かれたからか。ぐうと押し黙った妃を見やり、だが、シチロージの表情は、咎めるような諌めるような厳かさではない、むしろ…悲しげな色合いを帯びての複雑なそれとなり。

 「これをわたしが告げてもいいものか。
  その青年が寝返ろうとしていたことは御存知ではないのでしょう?」
 「…………え?」

 息を引いての表情が固まる。寝耳に水だったらしいのへ、ああやはりと我が身をぶたれたように眉を下げ、何とも痛々しいお顔になった后が続けるには、

 長年 難攻不落の城であったればこそ、
 一体どのような秘宝や麗しい人々がおわすものかと、
 周辺の列強諸国からすれば魅惑の塊だった炯の国。
 いくらでも積むから手引きをという懇願のお声を受けて、
 良からぬ手合いが近隣の某国へ出入りしているとの情報を、
 王の“草”が聞きつけ、
 そこでという…こちらへも予定に無かった奇襲を突然に仕掛けたようなもの。

 「そんな…っ。」

 いい加減なことを言うなと、それこそ…この城から出て戦場にいた訳でも無いお前が言うことを聞くものかと、やっとのこと、憎々しげな感情に燃え立つ、斬りつけるような眼差しを向けて来た年若い妃へ、

 「ヒョーゴ殿を覚えておわすか?」
 「…っ。」

 そう、貴女の最も信頼する内務の隋臣であったお人だ。
 今も、故国にて政務を助けておいでの彼へと密使を送り、
 あなたが案じているからと、コトの真相を問い詰めたのだから間違いはない。
 そうとくっきり言い放ったシチロージであり、

 「わたしが貴女を徒に苦しめるような虚言を吐いて、
  一体何の得になりましょうや。」

 「……。」

 そのような下らぬ戯れで喜ぶような下世話な趣味は無いし、そも、貴女を怒らせるつもりはないと、先程も言ったでしょう?と。向かい合う姫のなめらかにすべる頬へと手をやれば、身についた反射の鋭さからか、気配を拾い、一瞬身をすくませたが、

 「……。」

 撥ね除けてまで避けるということはせず、大人しくも撫でられるままになっておいで。その優しい温もりへ、いたわりのやさしさを感じてだろう、心許ない目線を上げた彼女へと、

 「よろしいか?
  貴女が要らぬ怨嗟を抱え、それを晴らさねばと気負うことはないのですよ?」

 青玻璃の眼差しがやんわりとたわめられ、緋色の口許も瑞々しい笑みを滲ませ、それは優しい慈しみを下さる后様。ただ闇雲に嘘を盲信し、心削って何になりますかと。味方なぞ要らぬとばかり、細い肩をそびやかしていた幼い妃への、初めての安息を齎す温もりを、ほらおいでませと広げてもらったようなもの。淡き紫紺の薄絹をローブとしてまとわした、美しい后の豊かな懐ろへ。置き去りにされた子犬のようなお顔になった姫君が、すがるようにと身を寄せていて。

 「…。」

 声を押さえてすすり泣くのへ、どれほどのこと辛かったでしょうねと、ただただいたわるばかりの深いお声は。遠い昔に母国で聞いた、やさしい子守歌のようでもあって。砂漠のただ中、白亜の宮の奥向きとは思えぬ一角、水と緑のたわわに満ちる、風だけが躍る中庭の上にて。新参の妃はようやっと、此処での居場所へその御々足を、安んじて降ろすに至ったのでありました。







  ……とはいえど


 赤い眸の妃は相変わらずに、懐ろに刃を抱いたままで通していたし、自分を口説く王に少しでも隙があれば、容赦なく鞘から白刃抜き放つ気も満々のまま。

 『だって、どんな思惑からかは知りませぬが、
  王はまだまだ黙っていようとしておいでのことなれば。』

 もしやして、告げてしまうと姫を泣かすとでも思っておいでなのかも知れぬ。そんなまで子供ではないというのにねぇと、現に泣いた和子を、そのお胸へと抱いたままでくすくす微笑って見せて差し上げた、年上の優しい后様は、

 『だったらこちらも、黙ってて差し上げましょうよ。』

 せっかくの思し召しをふいにするのもお気の毒だし、こっちは知らないと思っていると前提にして、逆に振り回してお上げなさい。そんな唆
(そそのか)しを囁いて、潤みの残る双眸覗き込み、新たな咒をかけ直した后様。

  ―― だってこのくらいの悪戯をしても、罰は当たらないと思うから

 一体誰への慈しみから、そのように自分へばかり非難を集めている王であるのやら。嘘と秘すこととで踊らせた上でとはいえ、何ならその身を呈してもいいと、そこまで講じてあの妃を思いやっているのは間違いなくて。そして、それはさすがにこちらへも堪えた。そんな勝手な事情なぞで、あのお人を損なわれてなるか、失ってなるものかと、愛しい御方の身を案じたればこそ、当の御主からは叱られかねぬ真実の暴露、こそりと弄したシチロージであり。打って変わって甘えるように素直な眸を向けて来る姫を、さあさ、お医者に傷を診せなければと、近づく足音の方へと向かせ。運ばれた輿に乗せられて、治療のため宮まで去ってゆくのを見送りながら。ふと自分の胸元へ手を伏せると、さっきまでそこにあった、柔らかな温みを思い出し。ああ、あの妃ともいいお友達になれそうだと、頭上にほころぶオレンジの白い花へ向け、小さく微笑ったシチロージだった。





  〜Fine〜  10.01.28〜.01.29.


  *おかしいなあ。
   精悍なおさま王の雄々しい勇壮さとかも書いてみたかったはずなのに、
   気がつきゃ、次男坊を手懐ける話になっておりまして。(誰が次男坊か)
   アラビアンナイト、大好きなのですが、
   薄絹の衣装に、金を連ねた飾り鎖とか、
   砂漠の覇王と聞けば、ついついトルコの方へ話の軸がぶれる困った奴で。
   シュウさまのところの、
   懐ろ深くて、肝っ玉の座ったシチ后へは、ずっと憧れておりまして。
   赤い眸の猫ばかり構うおさまを泰然と許しているような、
   でもでもどこかで秘やかに悋気も滾らせているような。
   気位も高き 賢夫人でありながら、
   そこも可愛さか、女の部分も全然の全く捨ててなんかおりませぬという、
   そんなお人が少しでも書けていたら、嬉しいのですが……。

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